精神疾患と生きていく

 

 

そう決めた、とか

その覚悟ができた、とかではなく

これは私自身が向きあって受け入れなくてはならないこと。

 

 

ごあいさつ

 

 

こちらのページまで見にきていただきありがとうございます!

 

運営者情報にも記載したように

私は双極性障害を患っており、

治療をしながらフリーランスとしてはたらいております。

 

当ページでは自己紹介も兼ねて

私がどんな半生を歩んできたのか

記していこうと思います。

 

お時間のある方はどうぞお付きあいくださいませ。

 

 

 

幼少期〜中学時代

 

 

幼少期〜小学校時代

 

THE・昭和な家庭に次女として産まれました。

 

教師一家の我が家ではそれなりに厳しく育てられ

いま思えばありがたいことにたくさんの習いごともさせてもらっていました。

 

特別に勉強をがんばっていたわけではないが成績はいつもトップ

(遺伝子に感謝)

 

小学生のころは習いごとをそこそこやって

あとは外で男の子たちと走りまわって遊んでばかりでした。

 

中学校時代

 

中学校に入るとバレーボール部に入部。

がむしゃらに鍛えまくり疲労骨折するまで走り込みの毎日。

(体が成長しきっていない時期に無理をしてはいけません)

 

練習はしんどかったけど部活はいい思い出です。

 

 

また、中学時代には2度のイジメをうけました。

 

1度めは1年生のとき。

男の子たちに「ブスだから」という理由で。

 

殴る蹴るの暴行、物を投げつけられる

私の机のうえにゴミとゴミ箱が置いてある

暴言の毎日。

 

私には何が悪かったのかわかりませんでした。

 

そこから自傷行為がはじまりました。

 

 

2度めは卒業まぎわのこと。

昨日までなにもなかった親友ふたりに無視されるようになったのです。

それに伝染するかのように仲の良かった女の子グループからも。

 

ひとつだけこころあたりがあるとすれば

同じ塾に通っていた親友のうちのひとりが

授業中に騒いでいたのを注意したこと。

 

でもそんなことで、、、、?

私たちの仲の良かった数年間はなんだったんだろうと

虚しさを覚えたのは忘れません。

 

そんなこんなで中学の最後は居心地の悪いものでした。

 

 

この頃からなんとなく生きる意味を考え

人と接することに恐怖心をもつようになりました。

 

 

高校時代〜専門学校時代

 

 

高校時代

 

都内の進学校へ推薦で入学しました。

 

1年次は心機一転、新生活ということもあり

勉強に部活に生徒会活動など精力的にとりくみました。

 

ですが今までまともに勉強をしてこなかったことと

運よく進学校に入ってしまったことで

まったく学校の授業にはついていけず

どんどん落ちこぼれていきました。

 

 

やる気がなくなっていた2年次に

同じクラスになった悪友と出会ったことで

ある意味人生が変わりました。

 

落ちこぼれ同士とても気が合い

ふたりでいろいろとやんちゃをしました。

 

すっだもんだあり、問題を起こしてしまい

私は停学→校長室登校に。

 

部活も生徒会もやめて

授業や学校行事をサボりまくり

遊び呆けていました。

 

当時GR■Eやモバ■ーなどのSNSが全盛期で

それを利用していろんな大人たちと会ったりもしました。

(危ない目にも何度も逢いました。真似しないでください)

 

 

学力は下がる一方、

周りは大学進学にむけて追い込みをしている最中も

私は遊びまわり

勉強するのが嫌だからという理由で

大学受験を放棄しました。

 

そんなことばかりやってきたものだから

厳格な父親との関係は最悪に。

 

私はそんな父から逃げるように

高校在学中に実家を出てひとり暮らしをはじめました。

生活費は居酒屋のバイトで稼ぎ、貧乏学生生活です。

 

 

高校は出席日数がギリギリのところでなんとか卒業

その後勉強しなくても入学できる専門学校へ進学しました。

 

専門学校時代

 

進学したのは音楽の専門学校。

幼い頃からピアノをずっと続けており

趣味で作曲もしていたため

何曲も何十曲も書きました。

 

 

キーボーディストとして活動するうちに

学内でちょっとした噂になり

たくさんの方から加入のお誘いをうけ

いくつもバンドやユニットを掛け持ちしました。

 

 

のちに夫となる人とも

このバンド活動を通して知り合うことになります。

 

 

相変わらずここでも私はがむしゃらに

バンドに時間を費やし、

毎日の練習やライブで体を酷使し過ぎ

結果的に手首を痛めてしまいます。

 

 

こうして卒業する頃には

ほとんどのバンドを脱退し

弾きたいのにいうことを聞かない

指が、手首が情けなくて、悔しくて

徐々にピアノから離れていきました。

 

社会人時代

 

 

企業ではじめて働くことに

 

卒業後すぐの4月にベンチャー企業にパートとして勤めはじめました。

それまでまともにバイトをしたのは居酒屋くらいだったので

慣れないうちは毎日会社にいくのが嫌でした。

 

失敗したらどうしよう、とか

うまく話せなかったらどうしよう、とか

 

そんなような悩みで憂鬱になって…

 

毎朝自宅を出る前に鏡に向かって

「私は大丈夫です。私は大丈夫です。私は…」

と唱え続けたり

 

出勤中は電話対応のシミュレーションを

ひとりで呟き続けたりしていました(笑)

 

 

同じ部におせっかい上司(のちのスーパーモラハラ上司)や

「給湯室の床が汚れているわよ」なんて言ってくるお局さんもいましたが

 

根が真面目で几帳面な性格と

与えられた経理の仕事がマッチしており

仕事に慣れてくるとそこそこ楽しくはたらくことができました。

 

 

垣間見える会社の闇・社内の異様な雰囲気

 

そもそも私は□□株式会社の面接にいき

□□株式会社に採用されたのに

雇用契約書には■■株式会社と記してありました。

 

社会経験がなかった私は契約を結ぶときには

なんだかよくわからないけどあまり疑問に思わなかった。

 

募集要項に記載のなかった仕事も多数。

 

また、いつまでたっても試用期間中の時給からあがらない。

(1ヶ月で試用期間は終わると説明があった)

 

お局さんがパートを何人も辞めさせているという事実。

 

パートが参加しない朝礼はまるで宗教のようなことをやっているとのこと。

 

社員とパートの線引きがガチガチに区切られていて

権限がなくてできないことを要求される。

 

パート仲間の仕事がだんだん減っていき

シフトを減らすよう要求。

 

 

どこの会社もさまざまな問題や課題はあると思いますが

なんだか適当で要領の悪い会社だなぁと思っていました。

 

契約社員になってくれないか?

 

仕事が評価されたのか私は契約社員になりました。

 

「仕事内容は変わらない、

ただ勤務時間が少し増えて時給が月給になるだけだから」

 

そんな言葉を鵜呑みにして

「まぁいっか」くらいの気持ちでなったことに少し後悔することになります。

 

社員とパートの線引きがガチガチ、と前述しましたが

私はその間を会社にとって都合のいいようにさまようことになりました。

 

 

非常に仕事がやりづらい。

直属の上司からの期待が重くてしんどい。

なんだかよくわからない仕事が増えてきた。

薄々気づいてはいたが、圧倒的にパリピな社風にあっていない。

 

 

同期で入社したパートたちはすでに退職し、

私の在籍中に社員が何人も辞めている。

 

 

ふつふつと不満や不信感が湧き出て止まらなかったかった頃

私に限界が訪れました。

 

 

スーパーモラハラ上司とのたたかい

 

私が色んな仕事を任せてもらえるようになって気づいたことがありました。

「この上司…もしかしてポンコツ?」

 

 

仕事がたくさんあって忙しい風にしているものの

それは自分が仕事を処理仕切れないくせに

やりたいことばっかりやっているから。

 

自分の思い通りに話がすすまないと怒りだす。

 

基本的にまず人間として尊敬できない。

 

知ったかぶりをして取引先に馬鹿にされたり、

自分で取引先を自社に呼んでおいてそのこと忘れて昼飯食べに出かけてるとか

 

「この仕事どうなってますか?」「わかんない」

「このパスワードなにに設定しましたか?」「忘れちゃった」

「暗証番号はなんですか?」「XXXXじゃなかったっけ?」←違う。

 

上司が中途半端に手をつけた仕事は

間違っているところや訳がわからないところばかりで

 

そのうえまともに会話にならないので

私のストレスは限界まできていました。

 

 

 

 

そして完全に上司のことを受けつけられなくなったのは面談のとき。

 

私の性格や過去の経験から感じたことを全否定し

私が普段習慣にしていたことを辞めろと要求し

そのうえで出世欲のない私を(そもそも契約社員だし)

主任にしたいという謎の願望を語り出されて

 

もう、限界でした。

 

 

 

「えっ…この人何を言ってるの?」

 

「意味がわからない」

 

「ただただ気持ちが悪い…!」

 

 

 

 

体調を崩しました。

 

 

 

 

でも上司に代わりに私の仕事をされたらめちゃくちゃにされる…!

会社を休んだら私の負け

意地でも這ってでも行ってやる…!

 

 

ただただ上司に会いたくなさ過ぎて

毎朝泣きながら時には嘔吐して、でも絶対に休まずはたらきました。

 

 

 

このとき精神科の主治医は「適応障害」と診断しました。

 

 

そして後々「会食恐怖症」になっていたことも判明します。

 

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専務にもとっくの昔に相談済みで

同じ部署の人は全員私の味方になってくれて

(みんなにもポンコツと思われていました)

 

 

私はその上司をこの部署から外して欲しかった。

なんなら仕事のミスもめちゃくちゃ多かったしクビにして欲しかった。

みんなが迷惑してた、

仕事をかき回されてた。

 

 

 

最終的にどうなったかというと

その上司は一切お咎めなし

 

私は別の事業部に転籍となりました。

 

 

専務の判断には釈然としませんでしたが

ポンコツ上司と離れられると前向きに捉え

数年勤めた本社をあとにしました。

 

 

上司不在の正社員・激動の人生のはじまり

 

異動後の事業部では正社員となるも

私の希望は通らず時短社員に。

 

 

全ての社内イベントに参加しなくてもいいと

配慮してくれたのはありがたかったが

それと引き換えに賞与の支給額が

「時短社員だから」通常の社員の半額と説明を受けました。

 

 

納得がいかない。

けどいくら私が言ったところで変えられることではないと

先日の元上司の件で悟ったため

どんどん自分の意見が言えなくなっていきました。

 

 

会社になにひとつ期待はできない。

 

私は無心にはたらきました。

 

 

 

業務内容は本社でやっていたことを

そのまま子会社専任経理としてひとりでやるという話だったので

最初こそ気楽にやって行けました。

 

 

 

この頃、学生のときから交際をしていた恋人と籍をいれ、

中古のマンションをローンを組んで購入しました。

 

 

各種手続きや引越し、挨拶まわりでバタバタしており

違和感があった体調や気持ちの変化に向き合うことを怠り

その間に水面下で精神はどんどん蝕まれていたのでしょう。

 

 

籍をいれて1ヶ月もたたないころから

仕事の量と内容がとんでもないことになっていきます。

 

 

そもそも私には同じ所属に上司がいませんでした。

仕事のやりとりをするのは社長です。

 

社長は私がどんな仕事をやっているのか知らないですし、

私にわからないことがあっても誰にも相談することができず苦しんでいました。

 

 

せっかく事業部専任になったのだからと

さまざまな要望をいただいて

それを全てどうにかこうにか根性でこなしていく。

 

たとえ時間をかけてつくったものを

ごっそりデリートして上書き保存されても文句は言いません。

 

「これやれる?」と聞かれたら

はい、やります」の一択です。

 

 

 

残業時間が日に日に増えていきます。

 

 

 

どれだけやっても終わらない。

 

正解がわからない。

 

でもやらなくちゃ。

 

私がやらないといけない。

 

 

 

勤怠を少しずつちょろまかして

月の上限残業時間の60時間に調整。

(残業代は出ません)

(私は時短社員です)

 

 

それでも終わらせることができないから

仕事を持ち帰ったり

土日に黙って出勤したり

 

結婚したばかりの彼にかまうこともせず

「とにかく私がこの仕事をなんとかしないといけないんだ」

間違った方向にがんばっていました。

 

 

来期の予算を締め切りまでに提出するために

社長と2日徹夜し、時間ギリギリのところで

ボロボロになりながら完成したときには

今までに感じたことのない尋常じゃない達成感・充実感がありました。

 

 

 

そしてこの日を境に私は人格が変わりました。

 

 

 

躁状態になったのです。

 

 

地獄のはじまり・激躁

 

私は仕事ができる!

この会社は素晴らしい!

素敵な社長と社員さんたちばかり!

みんな大好き!幸せ!

 

 

思考がガラリと変わり

仲良くしていた友達には「最近なんか変だよ?大丈夫?」と言われ

社内でも「あの人テンションおかしくね?」と言われていたようで。

 

それ以前は好きではなかった飲み会や遊びに

ガンガン行くようになって

ひとりでもバーに行って初対面の人に絡むようになったり

 

お金をとにかく使いまくるようになりました。

 

 

 

会社のこと、仕事のやり方に意見した夫を避けるように

家に帰らなくなりました。

 

 

 

相変わらず仕事は忙しい。

でも楽しい。

仕事があれば私は幸せ、とその時は本気で思っていました。

 

 

 

 

そして数ヶ月後、私は離婚しようと申し出ました。

 

 

 

なんとか説得し、マンションを売るか

住宅ローンを私名義で借り換えることを条件に同意を得られました。

 

 

 

鬱になり全てを失う

 

 

仕事は相変わらずわんぱくな業務量、

残業しそのまま飲みにくり出し遊んでまた会社に戻る。

ほとんど寝ずに過ごしていたがめちゃくちゃ元気。

 

 

 

そんな生活は数ヶ月で終わりをむかえます。

 

 

もう当時の詳しい状況は記憶が混濁していてあまり覚えていません。

 

 

気がついたら思考ができなくなっていました。

 

 

仕事をどう、やればいいのかわからない。

私はなにをしたらいいんだろう?

 

 

考えれば考えるほど脳が熱をもって

頭がクラクラして

今すぐにでも会社から逃げ出したい。

 

 

社員全員が私の悪い噂をしている。

私はダメな人間だ。

 

 

 

 

 

消えてしまいたい。

 

 

 

 

正体がわからない何か恐ろしいものに取り憑かれて

もうなにもかも嫌になってしまいました。

 

 

 

そして逃げるように会社を退職し、

実家で引きこもり生活となります。

 

 

人材不足と私の思考停止のせいで

業務を引き継ぐことができなかったため

業務委託で会社員時代の仕事は続けるハメに。

 

 

回らない頭でなんとかルーティン業務だけこなし

あとはただただなにもしない。

というよりなにもできない。

 

 

 

同時期にマンションの売却が決まり

ようやく離婚へ。

 

 

 

こここそが自分にとって最高の居場所だと錯覚していた会社と

憧れのマイホームと

苦楽を共にしてきたパートナーを失いました。

 

 

 

現在・そしてこれから

 

 

人生史上最悪の鬱期を死んだように生き延びた私は

これからを

会社という組織に依存しない生き方がしたいと強く思うようになります。

 

 

そこで出会ったのがネットビジネスです。

いまは全然ですがこれから収益化を目指して奮闘中です。

 

 

数年後の近い将来の目標を

経済的に自立すること

精神的に自立すること

この2つに定め、邁進していきます。

 

 

 

そしていずれは同じように精神疾患を抱えて生きる人を

支えられるような活動をしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

死ねないから生きる、

 

ではなく

 

生きたいから生きると

 

 

本当に心の底から思えるようになるまで

 

 

 

休んだり、迷ったり、悩んだりしながら

 

自分らしく生きていきます。

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

もし良ければブログ記事の方もご覧になっていってくださいませ。

 

 

 

 

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