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双極性障害と過ごしたフリーランス1年生の記録【体験談】

 

こんにちは。筆者のりゆです。
りゆ

本記事では会社員を辞め、フリーランスとして働きながら双極性障害の治療をしてきた1年間を振り返ろうと思います。

お時間のある方はお付き合いくださいませ。

 

精神崩壊。準備期間0日で望まないままフリーランスになる

 

「……会社を辞めさせてください。」

 

「じゃあ明日から来なくていいよ。」

「え。」

 

鬱期をむかえていた私は、これまでに感じたことのない絶望感に支配されていました。

 

ふわりと線路に吸い込まれるような、

世界からはじき出されたような、

どこにも居場所がない、そんな感覚。

 

1月の冷たい空気と裏腹に煮えたぎった重たい頭を支えながら

社長に退社の意をやっとの思いで打ち明けたその返事はあまりにあっけないものでした。

 

下手に「やめられたら困る」と引き留められ

生きているのか死んでいるのかわからない状態のまま会社に行き続けなければならないという

最悪の事態にならなかったのは本当にありがたかったけれども。

 

身を粉にして働いて会社に尽くしてきたと自分では思っていたので

会社を辞めると告げたときに即答で「来なくていい」と言われて

「私の存在は会社にとってそんなものだったのか」と

虚しさを感じたことは覚えています。

 

話をしたその日のうちに荷物をまとめてそれ以来出勤することはありませんでした。

 

こうして私はあっさりと約5年の会社勤めを終えました。

 

ひとりでいるのが耐えがたい恐怖だった

 

会社を辞めることはできたものの

私がやっていた仕事をできるひとが他におらず

後任の担当者が決まり、引き継ぎをするまでは

業務委託というかたちで自宅で仕事をつづけることになります。

 

とっくに思考力と判断力を失っていた私は

いままで自分がやってきた仕事でさえも

なにをどうすればいいのかわからなくなっていました。

 

考えてもわからない。

頭が、思考が、回らない。

やらなきゃ、でもなにを?

締切の時間がせまってくる。

 

パニックになり泣き叫びながら

ひとり、広いリビングの隅っこでパソコンと向かい合っていました。

 

 

マンションの7階の大きな窓からは眺めのよい景色

ベランダの目下には駐車場のコンクリートが広がっています。

 

幾度となく吸い込まれそうになりました。

 

 

 

誰とも会わない。

 

ひとり。

 

誰か、

誰かたすけて。

 

 

その頃は夜もろくに眠れず

何度も目が覚めてはパニックになり泣き叫び

疲れ果てて気を失う

そのくりかえし。

 

考えなければならないことは山積みで

でも考えられなくて

常に頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような感覚で

限界でした。

 

 

心身共にやつれきった私が実家に引き取られたのは

約1か月後のことでした。

 

からっぽの私

 

それから数週間はなにもできない日がつづきました。

文字通り、なにもできない。

 

1番簡単な、必要最小最低限の仕事だけ

布団から顔を出して行う。

 

私が自発的にやったことはそれだけでした。

 

布団にこもって、

消えてしまいたい、消えるためにはどうしたらいいんだろうと考えつづけたり

それすらしなくなって

ただひたすらに天井の白い壁紙を眺めるだけの時間が過ぎていきました。

 

病院に行こうという

発想も気力もありませんでした。

 

さよならマイホーム。さよなら大切だったひと。

 

私の時間は完全に止まってしまっていました。

ですが事態はめまぐるしく進んでいきます。

 

自宅マンションの売却の話がまとまり、やらなければならないことが押し寄せてきました。

家財道具の処分、搬出

部屋の片づけ、すべての日用品の処分

財産分与、離婚手続き

住所・氏名変更手続き

 

当時の夫が大半のことをやってはくれたものの

「なにも」できなくなってしまった私にとってはやることがありすぎて混乱状態でした。

 

そのときは離婚によって夫と別れることよりも

考えなくちゃいけないことでぐちゃぐちゃになった頭の状態の方がよっぽど苦痛でした。

 

 

なんとか目の前の「やるべきこと」に決着をつけられたのは

実家に回収されてから約2か月後のことでした。

 

 

「…これは躁なの?」ひさしぶりに芽生えたやる気

 

やってみようと思った。行動してみた。

 

目の前の「やるべきこと」に決着をつけたころ、

どうにかこうにか体をひきずって行った精神科。

このときはまだ効果を発揮してはくれなかった薬も数週間で効きはじめたのか

ぼんやりとこの先なにをやっていけばいいのか考えるようになってきました。

 

勤めていた会社では後任の担当者が相次いで辞めてしまい

相変わらず委託業務はつづけていたものの

いつ契約をきられるのかわからないままでいるのも不安でした。

 

なにか、別の収入を得られるようにしておかないと…

そんなことが頭をよぎります。

 

考えることを放棄して、ひたすら天井を眺めていた状態から

本を読んだりYouTubeを見たりできるようになった私は

ブロガーのマナブさんの動画に出会いました。

 

 

アフェリエイトって聞いたことある。

ひとりで黙々と作業するなら会社勤めより全然いい。

ブログ、やってみようかなぁ。

わーどぷれす?…よくわかんないけどたぶんこれだな。

ドメイン??サーバー???

どうやらTwitterもやったほうがいいらしい。

ふむふむ。

 

 

マナブさんの動画と出会ってから、

ブログを開設するまではあっという間でした。

 

病院に行って抗うつ剤を飲み出してから約2か月後。

絶望的な鬱期から抜け出した瞬間でした。

 

あがったりさがったり

 

春から夏にかけては委託業務の仕事をしながら

ブログを書いたりTwitterをして過ごす時間が多くなりました。

 

新型コロナウイルスの流行・緊急事態宣言もあり

相変わらずひきこもってはいましたが

絶望しかなかった最悪の鬱期をのりこえてからは

気分が落ち込むことはあっても、死にたくなるほどつらいと思うことはなくなりました。

 

とてもじゃないけど全然収入にはなっていませんが

仕事のほかにやることができたことが

気持ちを安定させることにつながったんだと思います。

 

自分が知らないことを知っていったり、

できなかったことができるようになったり

それが刺激的でどんどん意欲的になっていきました。

 

双極性障害の寛解にむけても前向きでした。

散歩や日光を浴びる、適度な運動、規則正しい生活など

調べてみて良さそうだなと思ったことはなんでも取り入れていきました。

 

順調に良くなってきている、

このころはそう思っていました。

 

あのとき私は躁状態だったんだ

 

本業以外に収入を得るために色んなことに手を出し始めたあたりから

私には2度目の躁状態が訪れていました。

 

朝は4時台に起床し、夜は24時ごろまで作業。

睡眠時間はあきらかに減っているのに頭は冴えていて

やりたいことが常に湧きだしていたのです。

 

このときは人とのコミュニケーションをとるよりも

自分のやりたいことをとにかくやり続けて止まらない状態にありました。

 

病的にのめり込み、

体中に身に覚えのない痣が増えて、

睡眠時間が極端に減って、

人にたいしては感情的にぶつかるようになり、

高額な買い物も気軽にしていました。

 

当時にそんな自覚は全くありません。

躁状態だったということは

いつもあとになってから気づくのです。

 

絶望のうつ期、依存症とともに再来

 

うつ病は誤診だった

 

精神的にボロボロになって病院に行ったときには抗うつ剤を処方されました。

 

双極性障害の躁転の原因のひとつは抗うつ剤の使用です。

私も抗うつ剤によって一気に気分が持ち上がり、そのまま躁状態に突入してしまったのでしょう。

 

こうした経緯から主治医は双極性障害の治療薬の代表格、

炭酸リチウム(リーマス)を処方しました。

うつ病の治療から双極性障害の治療に完全に移行したのがこのタイミングです。

 

束縛彼氏の言葉が私にとっての正解

 

躁状態にあったときは人からなにを言われてもあまり気にも留めません。

 

うつ状態になってからは何をどうしたらいいのか、

思考力も判断力も低下するので自分で考えることができなくなっていました。

 

当時付き合っていた方は束縛・嫉妬・疑念が人一倍強いうえに

それが行動となって出てしまうタイプのひとでした。

 

なにをしろ、なにをするな、

俺はこんなに好きなのにお前の気持ちはその程度なのか、

 

とても、息が苦しかった。

 

でも反論する気力もないし、

いう通りにしないと面倒くさいし、

嫌われたくもなかった。

 

だからいう事を聞いた。

私なりに全部望み通りにした。

 

 

双極性障害は躁転、うつ転が起こらないように

規則正しい生活がとても重要です。

 

そのことについては何度も説明したはずです。

にも夜の22時を過ぎてから彼が会いにきてしまったりすると

逆らわずに私も家を出て彼のところへ向かわなければなりません。

 

寛解から遠ざかっていることはわかっていても

彼の要求には逆らえませんでした。

 

束縛が精神的DVへと変化した

 

常に私の行動を把握しなけれな気が済まない彼に疲れてしまい、

同棲をすることにしました。

 

一緒に暮らすようになれば彼の安心材料になり

規則正しい生活も送れるようになると思った末の判断でした。

 

ですがますます私への監視が厳しくなり、

束縛や嫉妬の度合いは増していきます。

それとほぼ同時に彼の態度が変わってしまいました。

 

私は在宅で仕事をしているため

彼が家を空けているときに私がほかの男性と会っているのではないかと疑念が強くなり

夜に洗顔をしただけで

「今日化粧したの?」

「どこの男とデートしてきたんですか?」

と言われる始末。

 

うつ状態、何も考えることもできず

気軽に外出することもできず

ただ彼の機嫌を損なわないように望むように行動する。

 

ですが次第に風当りは強くなり

会話をしてくれず無視をされたり、

話しかけたら舌打ちをされたり、

ため息をつかれて背をむけられ、

寝室で一緒に寝てくれないこともありました。

 

それまでは「好き」「可愛い」「一緒にいたい」と言ってくれていたのに

「デブ」「ブス」「死ね」そんな言葉しかかけられなくなっていきました。

 

「私はお金を払って家政婦をしているわけではない」そう言った私に

彼は「元嫁にもそう言われたわ」と半笑い。

 

「もう以前のように私を愛してくれることなないんだ」

辛いけどそれが現実でした。

 

別れ。でも共依存から抜け出せない

 

「実家に戻ろうと思う」

そう伝えた私に彼は「じゃあ別れよう」と告げました。

 

何度目かの別れでした。

 

実家に戻ってから数日、

「やっぱり愛している」

「もう一度やり直そう」

「大事にするから信じて」

「お前がいないとダメなんだ」

また態度が一変しました。

 

もう一度、もう一度と別れるたびに優しくなる彼に

最後にもう一回だけ信じてみよう。

そう思う私も本当に愚かですよね。

 

お互いに依存しあっている関係だったので

すぐにまた付き合うことを繰り返してしまっていました。

 

 

病気に翻弄されたフリーランス1年目

 

結局わたしは何ひとつとして成せなかった。

 

やりがいがなくストレスばかりが溜まる仕事、

躁状態時にあれもこれもと手を出したものの

うつ状態時にはすべてできなくなって何もかもが中途半端、

恋愛依存から抜け出せなくてますますダメになっていく自分。

 

これが双極性障害である私のフリーランス1年目の現実です。

 

 

「フリーランス」単語だけ聞くと

独立しててすごい!

自立していてかっこいい!

そんな印象があるかもしれません。

 

バリバリ仕事をして、独立して自立して本当にかっこいい人はたくさんいます。

でも私みたいに情けなくてかっこ悪いけど

形式上だけの個人事業主もいるのが真実です。

 

 

 

これからは病気ともきちんと向き合って

経済的にも精神的にも自立して

胸を張って私はフリーで生きていますと言えるように

なっていけますように。

 

 

ありのままの自分を認め、受け入れる。

 

 

言葉でいうのは簡単ですが、これは大変なことです。

 

少しずつでもいい、でも確実に

私は前に進んでいきます。

 

(2021年2月時点)

 

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ここまでお読みいただきありがとうございます
りゆ

 

  • この記事を書いた人

りゆ

精神疾患と生きるフリーランサーです。 経理業務中心にバックオフィス全般を担当。 パワハラや激務もあって双極性障害となり、準備期間0日で退職しました。 心を軽くする思考法や会社員時代に学んだ考え方などを中心に発信しています。

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